なぜか急に「エドガー・ケーシー」の名前が浮かぶ。
ご存知だろうか?
彼はアカシックレコードへアクセスできたという。
リーディングということばを使っている。
私たちの習うリーディングも自分というものを一端離れるかたちをとらないと、
解釈が難しい。
自分を離れるとは無になることだが、気持ちを落ち着けて質問に集中していく。
笛野はすな先生もこのリーディングをなんとなく出来るようになり、
それは水晶のお陰だったという。
私たちも日々浄化と瞑想をしているけれど、水晶を使っている。
水晶自体のエネルギーが浄化なので、浄化を助けてくれるということになる
(日々色々なことがあり人は汚れているのでリセットの必要があるのですね)。
話は飛ぶが、以前リーディングをした時
アトランティスの人びとをみにいったのだが
アトランティスの人というのはからだがあったのだろうか?
と思ったりする。
ふたつに別れていて(種類!?種族!?)
片方はドラゴンのような乗り物を持っている。
地底にあるというより、違う次元にいたのだと思う。
(地底にある感覚で行ったには行ったが)
私はそんなことぐらいしか分からないが、はすな先生は
水晶の正四面体が浮いて動力としていたといい、
それはエドガー・ケーシーもアトランティスでは水晶をエネルギーのひとつとして
使っていたと言っているのが似ているなと思った。
アトランティスは高次元の存在だったらしい。
古代エジプト人たちはアトランティスの人びとの力を使って
ピラミットを立てたとも言っていた。
バミューダトライアングルにピラミットが沈んでいてそれが
アトランティスのものであればその可能性もあるのかもしれないなぁ
と思ったりする。
ちょっとググってみると(「ムー」の公式ブログから)
“眠れる予言者”エドガー・ケイシーによれば、伝説のアトランティスは「大水晶」というエネルギー装置とともに沈んだという。そしてその装置の冠石は地球や太陽、さらに宇宙のエネルギーを集積し、エネルギー場や量子真空状態を創出する一種の発電装置だった、と。
水晶の話を聞いた時、非常に明るいと言っていたので、同じだと思う。
先生のデザインした「水晶のピラミット」。
値段に驚くがそれよりも一度本物をみたがとても強いパワーがあった。
まわり中浄化されるというのか、明るいエネルギーで包まれた気がした。
頭の中が活性化するというか、のんびり瞑想をする場所が活性化しすぎて
しまったのを覚えている。
邪心の鎖を切る高次元のアンテナ 正三角形水晶3枚とsilver925 金メッキの枠組み 水晶1辺10cm 枠1辺120mm
金額を考えなければ欲しいものだ……。
エドガー・ケーシーはこうも話したそうだ。
「人が犯す最も大きな誤りは、人生はすでに前もって決められており、
変えることができないと思ってしまうことだ。
現在の人生が最も重要であり、カルマとの関係において、
自由意志を発揮することが最も大切である。
自分の精神的内面に触れ、人生の目的が何であるかを発見することは
我々の自由意志にかかっている。
我々の行いは、全て終局的には自分に返ってきて、
自分が責任を負わなくてはならない。また責任が何であるかを知ることも、
自分の責任である」
しかし、シルバーバーチの霊訓では、運命全体としての枠組みは
決まっているそうで、その枠組みの範囲内で、選択の権利が与えられており、
しょせん最終的には因果律という法則に縛られた運命を辿るに違いありません。
はすな先生と話していても、それは同じで
人の生死は全て神様が決めていて、大まかなレールも決まっている。
だけど、その中で色々な選択肢があって選んでいくのは自分自身ということになる。
大きくレールを外れると、出来なくさせられるように出来ていて、
だから全く違った方向には行かない。
私にはエドガー・ケーシー+シルバーバーチの話とはすな先生の話は同じに感じる。
エドガー・ケーシーが予言が当たらないという話も、
はすな先生の未来はみせてくれる範囲と見せてくれない範囲がある。
と言うのは同じだと思う。
なぜ未来が分かると支障が出るか?
(分かればそれ以上の努力もしないから。)
全く最初の予定通りの未来になるとは限らない。
5秒先が決まっていたとしても、会話や態度でその先の5秒は
少しづつズレがでてくるのではないだろうか?
おもいっきりの軌道修正しなくてはならないほど狂った時は
物事が自分の思うようにはいかないだろう。
何かしら邪魔が入ったリアクシデントが起きてさせられないようになっている。
だからこうして今選択しているのは私だが
、間違っていればどこかでやり直させられる。
そうであっても、こうして選択したのは誰のせいでもない、
自分自身であるということを認めて進まないとならない。
それは上でエドガー・ケーシーも言っている。
今回はよりスピリチュアル感が進んだ話になったが、
なぜか「エドガー・ケーシー」のことを書きたくなったのだ。
アカシックレコードについてはまた機会があれば書きたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿
ご感想頂けるとうれしいです。